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偉そうに幸福論なるものを考えてみた。
何かの本か、映像か忘れたが、どこかのお坊さんがこんなことを言っていた。
「幸福な状態とは、即ち納得できている状態だ。」と。
とても腑に落ちたので、引用させてもらいたいと思う。(どなたの言葉か忘れてしまったので、ご了承ください。)
自分の仕事に納得ができているのか、家族やパートナーに納得ができているのか、自分の人生に納得ができているかどうかで、自分が幸福かどうかが決まる。
納得ができていないと、実に面倒なことが起こる。
例えば、自分の年収は400万円、友人のAさんは、実業家で年収1,000万以上。自分の仕事に納得ができている人に取っては、Aさんに嫉妬や妬みの感情は起こりにくい。自分の仕事に納得ができていない、不満だらけの人は、おそらくAさんに嫉妬や妬みを抱くのだと予想できる。
また、Aさん本人も、仕事に納得できていなければ、例え年収が高くても、幸福ではないのだと思う。
仕事だけでなく、彼女彼氏に対して、家族に対して、自分の物差しで納得できていれば、周りからの声など、どうでもよく感じる。
自分の人生に納得する為、あらゆる選択を繰り返し、行動していった先に、理想の人生、幸福が待っているのだろう。
今自分が置かれている状況が、世間一般的な価値観の枠を超えて、自分自身納得できているかどうか、とても重要だなと。
納得、「受け入れること」とも言い換えることができるかもしれない。
常に、自分の置かれた状況を受け入れることができる人、受け入れられないなら、受け入れられるように変えようとする人が、幸福を手にするのではないだろうか。
辛かったり、寂しかったり、心が苦しい場合は、原因がわかりやすいことが多い。逆に幸せを感じる原因は、中々わかり辛い。気付かず過ぎ去ってしまうことも多々あるのではないだろうか。
自分は、今幸福なのか?と迷ったときは、必ずこの「納得しているか」を尺度として、脚下照顧しなくてはと日々ジタバタしております。
まぁ人生色々あっておもろいですね。