ポスターデザインを見て、何故かこの映画は絶対に見た方がいいんだろうなと思ってしまった。
早速シアター情報を調べ、渋谷ヒューマントラストシネマのチケットを購入。ヒューマントラストシネマに行くのはレディ・プレイヤー1を見た依頼だなと記憶を辿りながら、開映時間ギリギリに到着。
平日にも関わらず結構な大入で、そこではじめて注目の映画だと知る。
あらかじめ言っておくと映画批評など言語化能力が乏しい私にはできないので、無意識にネタバレしてる可能性もあるし、個人的なスケッチ程度に思ってもらえるとこれ幸い。
とはいえ、この映画は少し事前情報が入っていたとしても、全く問題ないような気がする。それだけしっかりと余白を作ってくれている映画だ。
行間を読み込む必要がある映画は、見る人の状態にすごく影響を受けやすい。その為、見終わって「よくわからなかった。」と感じる人もいるだろう。
それでこそ良い映画の条件なのでは?と私は思っているがいかがだろうか。
さて、31歳の誕生日を前にしたカラム(父親)と思春期が近づいている11歳のソフィー(娘)がトルコで過ごしたサマーバケーションの様子を主体に描いている。
この物語は、当時の父親と同じ年齢になった現在のソフィーが、父親との最後の思い出となったサマーバケーションを回想する内容となっている。
当然最後の思い出になってしまった理由があるわけだが、それについては詳しく説明されていない。しかし、カラムが咽び泣くシーンで行間を埋める事はそれ程難しくない。
ソフィーの思い出を追っているためか、時間軸がわからなくなる箇所もあるが、記憶の曖昧さを表現しているのではないのかと推測する。
自分にとってこの作品が面白かった点は、ソフィーの視点に立つと、少しずつ大人になっていく過程の感情変化への共感やメランコリックな青春描写に懐かしさを感じる。と同時にカラムの苦しみ、娘に対する圧倒的な愛情、30代の男性心理みたいなものに共感を覚え、2人の違った立場それぞれに自分を同化して追体験しているように気持ちになった点だ。
どちらの立場に同化するかで、全く印象の変わる映画だと思う。
この物語は、監督シャーロット・ウェルズの実際の体験に基づいて脚本されたものだという。
自分の体験を抉り出して、ここまで繊細に描くのはかなりきつい作業だと想像するが、よくやりきったな〜とそれだけで感動してしまった。
途中で、高級絨毯が出てくるんだけど、そこはしっかり観ておいてね。
個人的ベストは、ソフィーがカラムに「心のカメラで撮るから」と台詞を言ったシーン。娘にこんな事言われたら、もうね、、それでも最後のサマーバケーションになってしまうのか、、苦しいな辛い。
まだ上映しているみたいだから、もう一回は観に行こうと思ってる。また切なくなったり、苦しくなったり、辛くなったりもがいてきます。