想像性、感受性の欠落による厄難

8175084801_7f79b23334photo credit: Love via photopin (license)

なんか愚痴の様な、そうでない様な。よくわからん投稿になってまった。ちょっと頭の中整理する為に書いてみた。

誰かが傷つく時は、対外、想像性、感受性の欠落が原因な気がする。
自分の行動だったり、発言だったりでいとも簡単に人を傷つける事ができる。人が人から受ける影響力は、想像以上に大きく、だからこそ情報過多の今の時代にほとほと疲れてしまう事もよくあることだ。

だったら、人とのコミュニケーションなんてものは必要ないんじゃない?と思う人の気持ちもよくわかる。でも、人は人無しでは生きられないとよく言ったもので、生きてる充足感のようなものは、やっぱり対象がいてはじめて得られる感情なのだと思う。

この前、お酒の席で「すべては愛だ」という話になった。30こえたおっさんが何青臭い事言ってるんだと思われるかもしれないが、これ結構本質を突いてたりするんだよね。

正直言って愛のない人とは、仕事はしたくない。もちろん、プライベートも一緒にいたくない。

仕事においての愛とは何をさすのか?

冒頭でペラペラ書いた想像性、感受性を愛と呼ぶのではないかと個人的には思っている。

自責の念も含め、仕事における想像性、感受性の大切さを日々実感している。

ディレクターという職業柄、調整作業が非常に多い。クライアントとの調整、デザイナーとの調整、進行スケジュールの調整などなど、様々な立場の人達が一つのプロジェクトで稼働する。常に均衡を保つ必要がある。

まぁどんな仕事もそうだと思うけど、状況によって言い辛い事柄もでてくる。そこで、自分の立場しか主張できないと、均衡は簡単に崩れてしまう。

相手に伝えないといけないマイナスの事象は、相手にとってどういうことなのか?どう感じるのだろうか?グルグルと想像を膨らませて、疑似体験する必要があると自分は思う。

自分はデザイナーじゃないけど、もしデザイナーだったらどう思うのか?営業だったらどう思うのか?もし、自分が女性だったらどう思うのか?

他人の事なんてわからないといってしまうこともできるけど、それは愛がないと思う。思いやりがないと思う。自分はそういう人とは仕事をしたくないし、そう思われたくない。

仏教における縁起の思想に近いんだけど、やっぱり個とは他との関係が縁となって成立するものだと思う訳で、自分を形成する周りの人達がいないと自分は存在しない。縁、繋がりがあって、繋がりを大切にすることで個を始めて意識できる。

他に対する興味、愛を忘れてしまうと、自分を見失う。

そしてまた、他の愛のない行動によって、その事を教えられる。縁によって、個を学ぶことができる。

自分に言い聞かせるという意味でもブログに残しておこうと思った。

なんか疲れてるとこういう文章になるな。。

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