フランシスベーコンから『文脈』について考える。

ベーコン

少しだけ時間が空いたので、フランシスベーコン展を見に行った。

恥ずかしながら、ベーコンを今回の展示会開催まで知らなかったんだけど、久々に見てよかったなと素直に思えた展示だった。

ピカソに並ぶ巨匠といわれるだけあって、自分には彼の作品とても難解だった…。だけど、何故だか作品それぞれからはっきりとした文脈を感じ取れる事ができた。

自分は評論家でも美術を学んでいる訳でもないので、ただそう感じたとしか言えないんだけど、作品にしなくてはいけない強い動機を感じた。 そんなこんなで今日は自分の行動それぞれについて文脈を考えていた。

特に仕事についてなんだけど、どうしてこの仕事をしているのか?ってことをもっとしっかり考える必要があるなって思った。

自分の中でちゃんとストーリーになっていないものって、やっぱり一過性だし表面的な知識だったり想像でわかった気になってしまう。自分もよくあるから冷静になったときすごく恥ずかしくなる事がよくある。

自分は何でソーシャルメディアに惹かれて少しずつでも仕事にしていこうって思ったか。始めは文脈もくそもなく、ただただ楽しかっただけ。でも、深く掘り下げていくとSNSのポテンシャルのすごさに興奮したというか、これが正しい形でもっと広がれば世の中が少しずつ良くなるかもって思った。

それは「透明な社会」を可能にするから、良いものが良いとちゃんと評価されて、それが広がる。性善説で現実味のない話と考える人もいると思うけど、実際そうなったら良くないですか?

最近のFacebookは、広告系のローンチばかりで少しげんなりしてるけど、個人や企業が正しい形に矯正する為のツールとしてはまだまだ有効なのかなと思う。

ちょっと話がずれたけど、何かを表現する以上、そこには動機があって、やらなくちゃいけない理由がある。 ストーリーが語れる仕事を積極的にやっていきたいな〜と思った今日この頃。

フランシスベーコン

フランシス・ベーコン

「いいかい、写真の発明以後、絵画というものはまるで様変わりしたんだ。もう描くための理由が昔と同じというわけにはゆかないんだ。問題は、それぞれの世代がそれぞれ固有のやり方で描こうとしなければならないということなんだ。

ほら、僕のアトリエには、写真が床のそこいらじゅうに散らばっているだろう、ぞれもこれもひどく傷んで。友達の肖像を描くのに使って、それをそのままとってあるんだがね。僕は、人間そのものよりは、こうした参考資料を基にした方が描きやすいんだ。それだと独りで仕事ができるし、気持ちもずっと自由だし。

描いている時は誰にも会いたくないんだ、たとえモデルにでもね。でも、これらの写真は備忘録で、特徴だとか細かい点だとか、正確を期すということで僕の手助けになったわけだ。役には立った。でもただの道具さ」

「つまり、本能的に何かを描くことができるということなんだ。この本能というものを説明するとなると、これはまたたとえようもなくややこしい問題だ。絵画というものが世紀から世紀へといかに大きく変化するかという事実を見ると、本能というものもまた、世紀から世紀へと移り変わるたびに変化するのではないか、見たり聞いたりするあらゆるものによって変化を蒙るのではないのかと思えるんだ。

どうだろう。ともかく、僕に言えるのは、本能というものは大変重要なものだということだ」

「僕は何でも見るんだ。人生が目の前を通りすぎる、その人生をじっと見る、これさ。人間はいつもイメージに攻め立てられている。むろん、残るもの、決定的なものはごくわずかだけど、でも、あるものは多大な効果をもたらす。

この効果というものについてうんぬんするのは難しい。なぜなら、ほら、重要なのはイメージそのものよりは、それをどうするかということ、あるイメージが別のイメージへの効果として何を生み出すかということだからね。たとえば、スフィンクスのイメージを見たことで、通りを通り過ぎる人間の見方が変わるということだってありうるわけだ。あらゆるイメージが、見るもののすべてが、他のものを見る見方を変えるんだと思う。

自分の内に生まれるのは、絶えざる変化の一つの効果でしかないんだ。あるイメージが、そしておそらくは自分が見るものすべてさえが、知らず知らずのうちに残りのすべてを変えてしまうかもしれないんだ。一種のイメージに対するイメージの影響というものがあって、それはとても謎めいたものだけど、でもそうなることはたしかだよ」

でも、たぶん僕はいつでも死というものを感じているんだよ。なぜなら、生というものが人を奮い立たせるとして、その反対の、その影のような死も、人を奮い立たせるに違いないんだよ。おそらく、奮い立たせるのではなくて、生を意識するのと同じように死を意識するのさ。

生と死をコインの表裏のように意識するのさ。要するに、僕はそのことを人についても、また自分自身についても大変意識しているのさ」

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